「あ、グミいた」
その声に顔を上げると、テトが笑って軽く手を振っていた。「そっか、良かった」
「それより、グミの方こそ大丈夫?」
「私?」
特に目立った怪我はしていない、というよりこっちは無傷だったので思わず訊き返してしまった。「私は大丈夫だよ。敵もアシュフォード先輩が殆ど倒してくれたから、怪我とかしてないし」
「いや、怪我の方じゃなくてさ…」
珍しく言いにくそうにしているテトを怪訝に思っていると、こちらの顔色を窺うようにしてテトは口を開いた。「もしかして、思い出しちゃってる?」
そう言われてどきりとした。「ちょっとだけ…ね」
心配かけないように苦笑しながら言うと「無理に笑わなくていいよ」とテトが心配そうな顔したので、逆効果だったか、とちょっとだけ後悔した。「でも、ちょっとだけだし。心配しなくても大丈夫だよ」
「なら、いいけど……」
いまいち釈然としてなさそうにしているテトを見て、そんなに思いつめてるように見えてたのか、と内心苦笑してしまう。(私って駄目だなあ……)
任務中に敵を斬るのを躊躇ったり、人質に捕られたり、挙句過去の事で変に気を遣わせてしまって。「なーに、二人してしけた顔してんの」
無意識の内に俯けていた顔を上げると、ネルが両腕を腰に当ててこちらを覗きこんでいた。「あれ?先輩、もう現場報告終わったんですか?」
「現場報告って言っても大してやることないのよ。特に今回みたいなターゲットを逮捕する任務はね。だから、さっさと終わらせてきた」
そう言いながら、「ほら、プレゼント」と持っていた缶コーヒーを放って渡してきた。「ありがとうございます。ハーパー先輩」
「ネルよ」
そう言われて小首をかしげると、ネルは口を尖らせて、「そのハーパー先輩っていうの、慣れないし変な感じするから、出来れば下の名前で呼んで欲しいって言ったの」
ちょっと照れたようにプルタブを引きながら言った。(子供みたい……)
何となくそう思いながら視線を送っていると、「何よ?」
「いえ、なんでもないです」
真実を言えば間違いなく怒られそうだったので、何でもないような顔で誤魔化しておいた。「初任務の後ってさ、現実見せられたって感じになって、なーんか気分暗くなるわよね。私も最初はそうだった」
独りごちるようにぽつりぽつりと話し始め、苦笑いを浮かべた顔をこちらに向けた。「私の初任務も丁度こんな任務でさ。大して失敗とかしたわけでもないのに、なんか浮かない気分でさー」
「先輩でもそんなふうになってたんですね〜」
「失礼ね。あの時私はまだ14で、純情な心を持った乙女だったのよ!」
からかうように言ったテトにネル頬を膨らませる。「でね、その時私もレンにこんなふうにコーヒー渡されて、『何、暗い顔してるんだ』って言われたのよね。その時思わず食ってかかっちゃったんだけど、あいつはこんなのいつもに比べたら、まだまだ軽いほうだ、だなんて言うから愕然としたのを覚えてる」
「実際、今聞いて私もちょっと愕然としてますけどね……」
「ははっ、そうよねー、そうなるよねー」
その頃を思い出すように笑うネルの顔は、懐かしそうでありながらほんのちょっと寂しそうだった。「でも、その時思ったのよね。レンはこれ以上酷い現場にいったことがあるわけで、こいつにはそういう世界は一体どんな風に見えたんだろうって。だって、あいつが入隊したのって10歳よ?普通正気でいられると思う?」
ここより酷い現場。「そう思うとさ、ヘコんでるのがなーんか馬鹿らしくなってきたのよ。そんで、思い出した。ちゃんと全部覚悟してこの世界に入るって決めたんだってこと。だったら、こんなことでヘコんでる暇なんてないだろってね。そうやって気持ちの面では割り切った」
言い切るとネルは空になった缶を一度真上に投げてキャッチすると、そのまま投擲のポーズをとって思いっきり投げ飛ばした。「だから、あんた達もここにいるつもりなら割り切りなさい。ちゃんと自分で納得できる形でね。んで、それがどーしても無理だっていうんだったら、ここにいるのはやめた方がいいわ。今ならまだ引き返せるから」
ね?と顔を覗き込んでくるネルに「…はい」と戸惑いながらも小さく返すと、ネルは柔らかく微笑んで二人の頭を少し撫でてから、手を離して一つ頷いた。「お前ら、こんな所で何してるんだ?」
ふとかけられた声に顔を上げると、レンが怪訝な顔でこちらを見ていた。「人生相談」
その答えに首を傾げつつもレンはがしがしと頭を掻いてから、大して興味もなかったからか「あ、そう」とだけ返した。「そんなことよりも、来たぞ。護送車」
後ろに向けられた親指の先を見ると、確かにそれらしき車があって、何故かネルは「おおっ」と目を輝かせた。「とりあえず、ネルはターゲットを連れてきてくれ。俺は新人を連れてくから」
「は?何で!?」
「不測の事態を考えて、新人にさせるわけにいかないだろ。それから、俺はできるだけあいつと顔を合わせたくない」
きっぱりそう言い切ると、「行くぞ」とだけ言ってさっさと行ってしまうので慌ててトラックから体を離す。「容疑者は?」
護送車の中から出てきた警部らしき人が開口一番に言ったのはそれだった。「こんなに死人を出して…。まさか容疑者も死んでいやしないだろうな」
「そっちの要望通り、ちゃんと無傷だ。死人が多いのは、そっちがターゲット以外に対して特に何も指定してこなかったから、こっちの流儀でやらせてもらったまでだ。何か問題でも?」
そう言ってレンが表情も変えずじろりと見上げると、警部はぐっと黙りこくった。「あら、貧弱警部殿じゃない。相変わらず、偉そうにしてて何より」
明らかに相手を挑発するようなネルの言いように、ますます雲行きが悪くなり、すぐに落胆する羽目になった。「確かに今回は無傷のようだな……」
「ちょっと…、何よその言い草。私達がそんなヘマでもやらかしてたと思ったわけ?」
「お前が言うな。3ヶ月前そのヘマを思いっきりやらかした、お前が」
不満げに口を尖らせるネルにすかさずレンが突っ込みをいれると、わざとらしく咳払いをしてレンの足を踏んずけようとしたが、レンが瞬時に足の置き場を変えたので、結局空振りに終わる。「その子供に助けを求めてきたのはそっちでしょうが」
警部のぼやきを耳ざとく聞きつけたネルが瞬時に反論に出る。「大体ね、こんな小規模な組織を潰すどころか、全滅させられるってどんだけ弱いのよ、あんたら。聞けば、そっちが育成してる特殊部隊も投入したのに、全く歯が立たなかったらしいじゃない。それなのに何でそんなに偉そうにしてられるのか、神経を疑うわ」
「この…、政府に重宝されてるからっていい気になるな!」
「へえー、私達って政府にそんなに気に入られてるんだー。知らなかったわー。警察って市民の安全より政治に興味津々なのね。そんなんだからあんたらはヘボっちいのよ。こんなのが市民を守る為の警察だなんて、ほんっと聞いて呆れる。っていうか呆れを通り越して、逆に尊敬しちゃうわ」
ネルの口から次々と悪態が飛び出すにつれ、警部の顔が怒りでどんどん赤くなっていくのがわかる。「あの…、止めなくていいんですか?あれ」
「まあ、下手に止めたらこっちに飛び火しかねないからな…」
としかし、この状況が一向に収束しそうに無いと踏んだのか、「とはいえ、このままじゃ収拾がつかない、か…」と独りごちると、お互いに火花を散らしあっている二人の間に割って入り、「お前らいい加減にしろ」
決して大きくない声でレンが一喝すると、途端に二人とも口を閉じて辺りがしんとなる。「ネル。お前が言ってる事は確かに間違ってはないし、むしろ正論だ。だが、当人に言ったって話がこじれるだけだろ。どうせ認めるはずもないんだからな」
「なんだと!!」
止めに入ったはずなのに、一番失礼な事をさらっとのたまったレンに警部が荒げた声を上げた。「お前もそれくらいわかってるはずだ。なのに、わざわざ事を荒げて…。俺達にどれだけ迷惑かけてるのかわかってるのか」
「だ、だって…」
「だってじゃない」
上目遣いで反論しようとしたネルを、レンがその一言でぴしゃりと一蹴すると、ぐっと黙って視線を逸らした。「お前もお前だ。いい歳して、いちいちこいつの言うことに反応して。そんな暇があるなら、さっさと容疑者を護送するっていう職務を果たすべきなんじゃないのか」
レンが指をさしながら至極最もな事を言うと、警部は何も言えなくなって舌打ちをすると、車に乗り込んで当てつけのように強い力でドアを閉めた。「いつまでそうしてるつもりだ。何歳児だ、お前は」
「うっさい!っていうか、何であそこで入ってくんのよ。あともうちょっと煽り立てて、殴りかかってくるとこを返り討ちにするつもりだったのに!」
「だから嫌なんだよ。お前とこういう任務やるの……」
苦虫を噛み潰したようにレンがぼやくと、「なによお!」と心外そうにネルがすぐに声を上げる。「お前ら、そろそろ行くぞ」
「行くって、何処に?」
反射的に訊き返してて、言った本人であるのに関わらずきょとんとしてしまった。「帰るんだよ。いつまでもここにいるわけにもいかないだろ」
至極当然のことを面倒そうに言うと、早い歩調でその場を離れて行く。「どうした、新入り。早く行かないと、置いてくぞ」
レンの声に現実に引き戻され、いつの間にか目の前に相手がいることに驚いて思わず「わっ!」と声を上げた。「す、すみません!えっと…、色々考え事しちゃってて……」
両手をぱたぱた振りながら言い繕うと、「あー、わかった。わかったから、落ち着け」と持て余したように言われ、我に返って動きを止めた。「何浮かない顔してるんだ。帰れるんだろ、お前は」
見透かされたように言われて、思わず顔を上げた時にはレンは肩から手を離していて歩き出しながら、「ほら、行くぞ」
肩越しに振り返って言われて、慌てて小走りで追いかけた。(そっか…。私には、まだ帰れる場所があるのか…)
今更そんなことを思って、自分はつくづく恵まれていると思う。