「マウロ・ハウディスだな?」
レンが一歩踏み出すと相手は後ずさろうとしたが、背中と机の端がぶつかって距離はそれほど広がらなかった。「お前に逮捕状が出ている。麻薬取り締まり法違反に大量の警官殺し、他にも色々やったと聞いているが、それについては警察庁で確認をとってくれ」
「……警察じゃないのか?」
「こんな格好をした警察を見たことがあるのか?」
警察と勘違いされていたことに少しだけ眉をひそませつつ訊き返して、半分くらい行った所で立ち止まる。(護衛が一人もいない……。いくら何でも無防備すぎる)
ここに脱出ルートがあるとしても、脱出するまで何も起こらないという保証はない。(単に危機感がないだけか……。それとも…)
ふと天井を仰ぎ見ると、やたら豪華で大きいシャンデリアがぶら下がっている。「動くな」
マウロが後ろ手で銃を取り、こちらに向ける。「動けば撃つ」
よくあるタイプのマガジン式の銃口を見つめて、ふうと小さく溜め息を吐いた。「それで俺たちを殺そうってわけか?いくらなんでも現実的じゃないと思うが?」
少し挑発的なこと言って相手の顔を窺ってみる。「マウロさん、落ち着いて。それを置いて下さい。あなたが抵抗しないのなら、こちらは何もしません」
「黙れ、小娘!殺すぞ」
「こいつの言った通りだ。大人しく逮捕されろ。お前はもう、終わったんだ」
警察っぽい台詞に若干抵抗を感じながら、とりあえずグミに同調しつつ「終わった」という言葉を強調して相手の出方を窺う。「終わった…、だと?」
そういって、マウロは薄く笑った。(どっちだ……?)
周囲に注意を払いながら、レンは臨戦態勢をとった。「終わるのは、お前らのほうだよぉ!!」
その言葉と共にマウロが強く机を叩くと、がこっという音ともに頭上のシャンデリアが落ちてきた。(………?)
不審に思って首をかしげつつ、柄を握っていた右手を離す。「おい」
その声に顔を向けて、思わず「は?」と声を漏らした。「今から俺のいうとおりにしろ。余計なことをしようとすんなよ?少しでも変な動きをしたら、こいつの頭を」
「お前っ、何で捕まってるんだっっ!」
「す、すみません!!」
マウロの言葉を右から左に聞き流して、脳裏に真っ先に浮かんだ言葉でグミを怒鳴りつけた。「おい、聞いてんのか!」
「あぁ?」
完全に面倒な状況に頭を抱えていたので、ついがらの悪い返しをして睨むと、それに気圧されたのか相手は少し怯んであとずさった。「そいつで何をするつもりだ?マウロ・ハウディス」
「何って……。見てわかるだろうが!人質にとってんだぞ!?」
「それが無駄だって言ってるんだ。うちは警察とは違う。レッド・ウィングっていう言葉、お前も裏の業界の端くれなんだから、聞いたことあるだろ?」
レッド・ウィングという言葉にマウロの顔が明らかに怯んだのが、見て取れた。「ま、まさか…。国家の特殊部隊の…」
「そうだ。俺達は反政府組織を粛清することを目的としている。よって、いつも俺達は死と隣りあわせだ。だから、例え仲間が人質にとられても、有事の際は見捨てることを許可されてる」
レンは冷たくそう言い放ち、「わかるか?」と更に言い募った。「そいつは人質としては役に立たない、っていってるんだ。実際、そいつが殺されても、俺はなんとも思わないしな」
「そ、そんなはったり信じるわけが……」
「はったりだと思うんだったら、そいつを撃ってみろよ。まあ、お前にその度胸があればの話だがな」
特に表情も変えないでそういってやると、マウロの銃を持つ手が微かに震え始めた。「どうした?手が震えてるぞ。いざ人を殺すとなると、急にその銃が怖くなったか?案外肝が小さいんだな?」
「黙れ!それ以上喋ってみろ…。こいつを撃つぞ」
「だから、撃ってみろって。まあ、できないか。お前みたいな、口だけの臆病者には」
「黙れつってんだろうがぁ!」
そう叫んで、マウロは腕をグミの首に回して引き寄せた。「よくやった、新入り」
「あ、ありがとうございます」
少し嬉しそうな顔でぺこりと頭を下げるグミに、さてさっきの失態について何か言おうと口を開こうとしたが、「お前ら、もしかしてさっきの全部わざとだったのか…?」
若干呆然としたような顔でマウロがそう言ってきて、レンはそのまま口を閉じた。「アシュフォード先輩!テトが…!」
「言わなくてもわかっている。さっき確認した」
焦燥するグミに反して、レンは冷静に切りかえした。「とにかく、落ち着け」
「でも…!でも、テトが…!」
「だから、落ち着けって言ってるだろ!まだ、死んだって決まったわけじゃない」
若干苛ついてきて語調を荒くすると、「何だあ?お仲間でも殺されたかあ?」
顔をニヤつかせて面白そうに笑うマウロを鋭く睨む。「まあ、そう落ち込むなよ」
くくく、とマウロは更に笑い続ける。「お前らもすぐにそいつに会えるんだからなあ!」
瞬間、部屋の四方の天井から1人ずつ仮面をかぶった人間が飛び降りてきた。「こいつらは下の階にいた、そんじょそこらの殺し屋なんかとは全然違う。何十年間も殺しを生業にしてきたプロの殺し屋だ」
そう言ったマウロは勝ち誇ったような顔をしていた。「お前も往生際が悪いな、マウロ・ハウディス」
「はっ、さっき言ったはずだぜ。終わるのはお前らのほうだってな!」
勝ちを得たように言ったマウロの「やれ!」という言葉を合図に仮面の殺し屋達が一斉に向かってくる。「屈んでろ」
レンがそれだけいって、有無を言わさずグミの頭を上から押して屈ませ、瞬時に刀を構えた時には間合いは完全に詰められている。「どうした?何か面白いことでもあったのか?」
殺されたはずのレンの声が聞こえたと同時に周りの殺し屋達の体が崩れ、マウロの顔から表情が一切消えた。「何をそんなに驚いている?さっき言ったはずだぞ。お前はもう終わったんだってな」
平然と言い放ち、「新入り、もういいぞ」とグミに声をかけてから、無線で報告を始めた。「こちらレン。ターゲットの捕獲完了した。そっちはどうだ?」
『こちらネル。あんた達がいる階以外の敵はあらかた片付けたわよ』
「さっき、お前のとこの新人の信号がロストしたんだが…、何かあったのか?」
『あー、そのことなんだけど…。ちょっと待ってて』
そういって一旦通信を切られ、そんなに経たない内に再び向こうから通信が返ってきた。『えー、こちらテトです』
「テト!?無事なの!?」
紛れもないテトの声にグミがすぐさま声を上げた。『ごめん、心配した?いや、ちょっとさっき図体でかい男の人にぶん投げられてさー。起き上がろうとしたら、そいつに腕踏みつけられちゃって、そん時信号機壊れたっぽい。無線機は投げられた時落としたみたいで、今先輩の使わせてもらってる』
いつもと変わらない口調のテトの話を聞きながら、グミがぎこちなくこちらに顔を向けてくる。「言ったろ?死んだって決まったわけじゃないって」
さらりと言うと安堵の為かグミは、はー、と深く息を吐くとその場にへたりこんだ。「バカな…。こいつらを一瞬で殺るなんて…、そんなバカなことが……」
「そのことだが」
血溜の上でぷっつり事切れている死体の前にレンはしゃがみこむと、仮面を外した。「何十年も殺し屋をやってる、か……」
何気なくそう呟いてから、「こんな子供が、何十年も殺しをやってきたと思うか?」
見えるように横にずれてやると、マウロはしばしの驚愕に表情を凍らせた後、かくっとうな垂れた。「目を逸らすなよ、新入り」
見てられないといったふうに目を逸らそうとしたグミに、レンは彼女を真っ直ぐ見据えて言った。「この光景を目に焼き付けろ。これがお前がこれから生きていく世界だ」
はっきりとした語調でそう言うと、グミは一瞬目を見開いて、ゆっくりと視線を下ろしてそこに転がっている死体を見下ろした。「国家の狗め…」
ぼそりとマウロが呟いた言葉が不意に耳に入ってきた。「レンとかいったか、お前。知ってるぞ。お前らは自分達が正義だと思ってやがる。そうやってお前達は自己を肯定して、この国に反するものをすべて悪として、制裁と称して人を殺している。だが、お前達がやってることは、その悪としている奴と同じだ。何も変わらない。まさに人間のクズだ」
「そ、そんなこと…!」
反射的に反論しようとしたグミの手首を掴んで、小さく「やめとけ」とだけ言った。「でも…!」
納得いかないといいたげなグミにレンは視線だけで制止を促すと、不承不承といった感じで口をつぐんだ。「お前もいい加減黙れ。これ以上お前の相手をするのは、もううんざりだ」
若干の苛つきをこめて言ったが、はっ、と軽く嘲笑って尚もマウロは言い募る。「反論しないんだな?できるはずもねえか、本当にその通りなんだからな。お前はそこに死んで転がっているガキ達と同じだ。親に放り出されて、人を殺すことでしか生きる道を見出せなかった、世間から捨てられたクズどもと!」
「クズって…。そんな言い方ないんじゃないんですか!」
「本当のことだ。そいつらは存在自体を疎まれたような奴らなんだよ。だから親に捨てられ、人殺しになるしか道がなかった。そうすることでしか生きることが出来なかった、人間のクズどもだ。そう考えれば、同じクズのそこの男に殺されたのも理にかなってるもんだ。クズはクズに殺されるのがお似合いだってな!!」
その瞬間、ぶちっとレンの頭の中で何かが切れるような音が聞こえた。「な、なんだよ?」
怯んだマウロの顔をしばし見下ろして、次の瞬間。「黙れって言ったのが聞こえなかったのか?」
声のトーンを落として、マウロの胸ぐらを掴み上げると「ひっ」とみっともない悲鳴をあげて、凍り付いていたその顔に恐怖の色が浮かびあがってくる。「いいか。お前が俺のことを侮辱しようが、他人のことをどう思おうが大して興味もないし、はっきり言ってどうでもいい。だがな」
そこまで一気にまくしたてて前口上を述べてから、「お前のその汚い口から、これ以上何か聞かされるのは我慢ならない。反吐が出る」
剣呑な口調で吐き捨てると、乱暴にマウロを床に放り落としてそのまま睨みつけた。「次、一言でも喋ってみろ。その顔へこませるぞ」
低い声でそう凄むとマウロは恐怖でかがたがたと身を震わせて、すでにまともに喋ることができなくなっている状態だった。