最上階には一室しかなく、ターゲットの部屋を探しまわる必要はなかった。
観音開きの扉の両側に一人ずつついて、頷き合ってから扉を同時に蹴破る。
ごてごてした装飾がされている縦に長い部屋で、その一番奥に備え付けの高価そうな机と椅子が置かれている。
その前で一人の中年くらいの男が強張った顔でこちらを見ていた。

「マウロ・ハウディスだな?」

レンが一歩踏み出すと相手は後ずさろうとしたが、背中と机の端がぶつかって距離はそれほど広がらなかった。
それについてはレンは別段何も思わず、一歩一歩歩み寄りながら、

「お前に逮捕状が出ている。麻薬取り締まり法違反に大量の警官殺し、他にも色々やったと聞いているが、それについては警察庁で確認をとってくれ」

「……警察じゃないのか?」

「こんな格好をした警察を見たことがあるのか?」

警察と勘違いされていたことに少しだけ眉をひそませつつ訊き返して、半分くらい行った所で立ち止まる。
右手には一人分には大きすぎる天蓋ベッド、左手には大きな窓と何を表現してるのかさっぱりわからない絵画が何枚か壁に掛けられていた。
部屋の中を軽く見回して、怪訝に思う。

(護衛が一人もいない……。いくら何でも無防備すぎる)

ここに脱出ルートがあるとしても、脱出するまで何も起こらないという保証はない。
そもそも、この部屋の前にも護衛がいなかったのもおかしな話だ。
一度とはいえ、警官達に襲撃を受けて、それから日にちもそれほど経っていないのに、この状況はあまりに不自然である。

(単に危機感がないだけか……。それとも…)

ふと天井を仰ぎ見ると、やたら豪華で大きいシャンデリアがぶら下がっている。
直撃したらひとたまりもなさそうだ。
ちらりと隣にいるグミに視線を投げて、少し考えてもう一歩踏み出す。
直後、

「動くな」

マウロが後ろ手で銃を取り、こちらに向ける。

「動けば撃つ」

よくあるタイプのマガジン式の銃口を見つめて、ふうと小さく溜め息を吐いた。

「それで俺たちを殺そうってわけか?いくらなんでも現実的じゃないと思うが?」

少し挑発的なこと言って相手の顔を窺ってみる。
その顔は緊張で張り詰めてはいるが、銃を持つ手は少しも震えていない。
普通この状況なら、場数を踏んでいても少しくらい怯えるものだが。
レンが考えを巡らしていると、何を思ったかグミが一歩前に進みでたので、一瞬ひやりとした。
下手に刺激したらまずい状況下で、脅しとは言えするなって言われたことをするか。普通。
幸い銃口がグミに向けられただけだったので、内心いくらか安堵していると、グミは穏やかな口調で説得を始めた。

「マウロさん、落ち着いて。それを置いて下さい。あなたが抵抗しないのなら、こちらは何もしません」

「黙れ、小娘!殺すぞ」

「こいつの言った通りだ。大人しく逮捕されろ。お前はもう、終わったんだ」

警察っぽい台詞に若干抵抗を感じながら、とりあえずグミに同調しつつ「終わった」という言葉を強調して相手の出方を窺う。

「終わった…、だと?」

そういって、マウロは薄く笑った。
そのまま、さも可笑しそうに笑い出すマウロを見ながらレンは警戒を強める。

(どっちだ……?)

周囲に注意を払いながら、レンは臨戦態勢をとった。
さあ、どっち・・・から来る?

「終わるのは、お前らのほうだよぉ!!」

その言葉と共にマウロが強く机を叩くと、がこっという音ともに頭上のシャンデリアが落ちてきた。
突然の事に反応できてないグミの背中を強く突きとばして、すぐに後ろに跳び退く。
がしゃん、と目の前に落ちてきたシャンデリアの大きな落下音に紛れてグミの声が聞こえたが、その時には刀の柄に手をかけて背後を振り返っている。
しかし、そのまま抜刀することはなく、レンはそのままぴたりと止まった。

(………?)

不審に思って首をかしげつつ、柄を握っていた右手を離す。
検討違いだったのだろうか?いや、だが確かに…。

「おい」

その声に顔を向けて、思わず「は?」と声を漏らした。
グミの斜め後ろに立っているマウロが、彼女の後頭部に銃をつきつけていた。
予想外の展開に唖然というか、目が点になっているレンをどうとったのか、マウロがにやにや笑って、

「今から俺のいうとおりにしろ。余計なことをしようとすんなよ?少しでも変な動きをしたら、こいつの頭を」

「お前っ、何で捕まってるんだっっ!」

「す、すみません!!」

マウロの言葉を右から左に聞き流して、脳裏に真っ先に浮かんだ言葉でグミを怒鳴りつけた。
すみません、じゃないだろと溜め息を吐いて脱力する。
「動いたら撃つ」とか言ってるのに関わらず前に出るわ、少し目を離したら人質にとられるわ、これだから新人は…!

「おい、聞いてんのか!」

「あぁ?」

完全に面倒な状況に頭を抱えていたので、ついがらの悪い返しをして睨むと、それに気圧されたのか相手は少し怯んであとずさった。
その行動に若干イラっとしながら、どうしたもんかと思案する。
下手な行動をすれば、あいては今度こそ引き金を引きそうな上、このままじっとしてるわけにもいかない。
捕まったのがネルなら寧ろこの状況は好機だったのだが……。
その時、ふと視線に気づきレンは顔を上げた。
グミがちらりとマウロに視線を送り、小さく頷いて見せた。
目配せの意図を汲み取り、はあー、と息を一つ吐く。
やれるのか微妙に不安だが、もしもの時はこっちでカバーすればいいし、他に手も浮かばないのでとにかく信用してやる。

「そいつで何をするつもりだ?マウロ・ハウディス」

「何って……。見てわかるだろうが!人質にとってんだぞ!?」

「それが無駄だって言ってるんだ。うちは警察とは違う。レッド・ウィングっていう言葉、お前も裏の業界の端くれなんだから、聞いたことあるだろ?」

レッド・ウィングという言葉にマウロの顔が明らかに怯んだのが、見て取れた。
そこに少しずつ怯えの色が広がっていく。

「ま、まさか…。国家の特殊部隊の…」

「そうだ。俺達は反政府組織を粛清することを目的としている。よって、いつも俺達は死と隣りあわせだ。だから、例え仲間が人質にとられても、有事の際は見捨てることを許可されてる」

レンは冷たくそう言い放ち、「わかるか?」と更に言い募った。

「そいつは人質としては役に立たない、っていってるんだ。実際、そいつが殺されても、俺はなんとも思わないしな」

「そ、そんなはったり信じるわけが……」

「はったりだと思うんだったら、そいつを撃ってみろよ。まあ、お前にその度胸があればの話だがな」

特に表情も変えないでそういってやると、マウロの銃を持つ手が微かに震え始めた。
多分、今まで自分の手で誰かを殺したことがないのだろう。
顔を蒼白にさせている所からして、演技でもないようだ。
少し待ったが、マウロがいっこうに行動を起こさないので、もう少し煽ってみる。

「どうした?手が震えてるぞ。いざ人を殺すとなると、急にその銃が怖くなったか?案外肝が小さいんだな?」

「黙れ!それ以上喋ってみろ…。こいつを撃つぞ」

「だから、撃ってみろって。まあ、できないか。お前みたいな、口だけの臆病者には」

「黙れつってんだろうがぁ!」

そう叫んで、マウロは腕をグミの首に回して引き寄せた。
刹那、グミは回された腕を両手で掴み、そのまま相手を投げ飛ばし床に叩きつけた。
腕を捻られて悲鳴を上げるマウロの手首と、近くにあったベットの柱に手錠を掛けて、「逮捕」とだけいってレンは腰を上げた。

「よくやった、新入り」

「あ、ありがとうございます」

少し嬉しそうな顔でぺこりと頭を下げるグミに、さてさっきの失態について何か言おうと口を開こうとしたが、

「お前ら、もしかしてさっきの全部わざとだったのか…?」

若干呆然としたような顔でマウロがそう言ってきて、レンはそのまま口を閉じた。
さっきのというのはグミが捕まった辺りからのことだろう。
勿論、挑発的なことを言って煽ってやったのはわざとだ。
とはいえ、最初の方は完全に素だったわけで、それをこいつに知られるのは何となく癪だったので、「さあな」とだけ返しておいた。
とりあえず説教は後回しにして、無線で連絡を入れようとした時だった。
ビー、ビー、ビー、と受信機から警告音が響く。
即座に確認を取ったグミの口から「嘘…」と掠れた声が漏れる。
怪訝に思ってこちらも確認すると、確かに一人の信号がロストしていた。
ロストした信号の主は、「テト・エイトン」。

「アシュフォード先輩!テトが…!」

「言わなくてもわかっている。さっき確認した」

焦燥するグミに反して、レンは冷静に切りかえした。
泣きそうな顔になっているグミを見て、嘆息してから、

「とにかく、落ち着け」

「でも…!でも、テトが…!」

「だから、落ち着けって言ってるだろ!まだ、死んだって決まったわけじゃない」

若干苛ついてきて語調を荒くすると、

「何だあ?お仲間でも殺されたかあ?」

顔をニヤつかせて面白そうに笑うマウロを鋭く睨む。
それに対して少し肩をすくませただけで、顔にはまだニヤつかせたままなのですぐ天井に注意をむけた。
シャンデリアがぶら下がっていた場所に何もなくなった所以外は、先ほどと全く同じ・・・・だった。

「まあ、そう落ち込むなよ」

くくく、とマウロは更に笑い続ける。
怪訝に思ったグミがマウロに近寄ろうとするのを肩を掴んで引きとめ、周囲に注意を向ける。
やはり、検討違いではなかったらしい。
レンがそう確信した時、

「お前らもすぐにそいつに会えるんだからなあ!」

瞬間、部屋の四方の天井から1人ずつ仮面をかぶった人間が飛び降りてきた。
それぞれ武器を携えていることから、穏やかな連中ではないことは一目瞭然だ。

「こいつらは下の階にいた、そんじょそこらの殺し屋なんかとは全然違う。何十年間も殺しを生業にしてきたプロの殺し屋だ」

そう言ったマウロは勝ち誇ったような顔をしていた。
刀の柄に手を伸ばすグミに「やめろ」と言うと、グミは「え」と驚いて顔を上げた。
グミから向けられる視線を無視して、敵との間合いを見積もる。
距離からしてせいぜい、5,6秒くらいか…。

「お前も往生際が悪いな、マウロ・ハウディス」

「はっ、さっき言ったはずだぜ。終わるのはお前らのほうだってな!」

勝ちを得たように言ったマウロの「やれ!」という言葉を合図に仮面の殺し屋達が一斉に向かってくる。

「屈んでろ」

レンがそれだけいって、有無を言わさずグミの頭を上から押して屈ませ、瞬時に刀を構えた時には間合いは完全に詰められている。
その直後、外から見ていた者にとっては仮面の人間達がレンの体を貫いたように見えただろう。
実際そうだったマウロは、高笑いをしていた。
しかし、

「どうした?何か面白いことでもあったのか?」

殺されたはずのレンの声が聞こえたと同時に周りの殺し屋達の体が崩れ、マウロの顔から表情が一切消えた。
レンは刀を一度振って付着した血を払ってから、それを鞘に収めると、

「何をそんなに驚いている?さっき言ったはずだぞ。お前はもう終わったんだってな」

平然と言い放ち、「新入り、もういいぞ」とグミに声をかけてから、無線で報告を始めた。

「こちらレン。ターゲットの捕獲完了した。そっちはどうだ?」

『こちらネル。あんた達がいる階以外の敵はあらかた片付けたわよ』

「さっき、お前のとこの新人の信号がロストしたんだが…、何かあったのか?」

『あー、そのことなんだけど…。ちょっと待ってて』

そういって一旦通信を切られ、そんなに経たない内に再び向こうから通信が返ってきた。

『えー、こちらテトです』

「テト!?無事なの!?」

紛れもないテトの声にグミがすぐさま声を上げた。
無線機の向こうから、あはは、と笑う声がして、

『ごめん、心配した?いや、ちょっとさっき図体でかい男の人にぶん投げられてさー。起き上がろうとしたら、そいつに腕踏みつけられちゃって、そん時信号機壊れたっぽい。無線機は投げられた時落としたみたいで、今先輩の使わせてもらってる』

いつもと変わらない口調のテトの話を聞きながら、グミがぎこちなくこちらに顔を向けてくる。
いや、こっちを見られても、とレンは内心ぼやいて、

「言ったろ?死んだって決まったわけじゃないって」

さらりと言うと安堵の為かグミは、はー、と深く息を吐くとその場にへたりこんだ。
ネルに処理部隊を呼ぶように頼んで通信を切ると、何かぼそりとマウロが言うのが聞こえ、そちらに顔を向ける。

「バカな…。こいつらを一瞬で殺るなんて…、そんなバカなことが……」

「そのことだが」

血溜の上でぷっつり事切れている死体の前にレンはしゃがみこむと、仮面を外した。
仮面の下の素顔を見て、すぐ傍にいたグミが息を呑む。
子供だった。
自分より2つ下の歳くらいで、まだ顔には若干あどけなさが残っている。
他の奴らも背格好からして、恐らくこいつと同じくらいの歳だろう。

「何十年も殺し屋をやってる、か……」

何気なくそう呟いてから、

「こんな子供が、何十年も殺しをやってきたと思うか?」

見えるように横にずれてやると、マウロはしばしの驚愕に表情を凍らせた後、かくっとうな垂れた。
マウロから視線を外し、再び眼下の遺体を見下ろす。
大きく見開かれた目は光を失い虚ろで、それはまさに幾度となく見てきた死人の目だった。
それを何の感情を抱くわけでもなく見下ろしていると、グミが「どうして…」と消え入るような声で呟く。

「目を逸らすなよ、新入り」

見てられないといったふうに目を逸らそうとしたグミに、レンは彼女を真っ直ぐ見据えて言った。
泣きそうな顔でこちらを見るグミから、虚空を見つめている少年の瞳に視線を移して、

「この光景を目に焼き付けろ。これがお前がこれから生きていく世界だ」

はっきりとした語調でそう言うと、グミは一瞬目を見開いて、ゆっくりと視線を下ろしてそこに転がっている死体を見下ろした。
涙を堪えるように唇を僅かに噛んだその顔は今にも泣きそうで、でも今度は目を一切逸らそうとしなかった。
彼女の横顔を少し離れた所で見ていたレンは、ああ、普通こういう顔をするものなのかと妙に納得してしまう。

「国家の狗め…」

ぼそりとマウロが呟いた言葉が不意に耳に入ってきた。
いい加減この男と話すのも嫌気がさしてきていたので、敢えて無視を決め込むことにしたが、マウロは続ける。

「レンとかいったか、お前。知ってるぞ。お前らは自分達が正義だと思ってやがる。そうやってお前達は自己を肯定して、この国に反するものをすべて悪として、制裁と称して人を殺している。だが、お前達がやってることは、その悪としている奴と同じだ。何も変わらない。まさに人間のクズだ」

「そ、そんなこと…!」

反射的に反論しようとしたグミの手首を掴んで、小さく「やめとけ」とだけ言った。

「でも…!」

納得いかないといいたげなグミにレンは視線だけで制止を促すと、不承不承といった感じで口をつぐんだ。
手を離し、肩越しにマウロに視線を送って、

「お前もいい加減黙れ。これ以上お前の相手をするのは、もううんざりだ」

若干の苛つきをこめて言ったが、はっ、と軽く嘲笑って尚もマウロは言い募る。

「反論しないんだな?できるはずもねえか、本当にその通りなんだからな。お前はそこに死んで転がっているガキ達と同じだ。親に放り出されて、人を殺すことでしか生きる道を見出せなかった、世間から捨てられたクズどもと!」

「クズって…。そんな言い方ないんじゃないんですか!」

「本当のことだ。そいつらは存在自体を疎まれたような奴らなんだよ。だから親に捨てられ、人殺しになるしか道がなかった。そうすることでしか生きることが出来なかった、人間のクズどもだ。そう考えれば、同じクズのそこの男に殺されたのも理にかなってるもんだ。クズはクズに殺されるのがお似合いだってな!!」

その瞬間、ぶちっとレンの頭の中で何かが切れるような音が聞こえた。
踵を返して、反論しようと口を開いたグミの横を通り過ぎ、「先輩…?」と呼びかけれても特に反応もせず、マウロの前に仁王立つ。

「な、なんだよ?」

怯んだマウロの顔をしばし見下ろして、次の瞬間。
がこん!
マウロの顔の横すれすれの所を思いっきり蹴りつけると、かなり大きな音をたてて足がめり込んだ。
少し足を離すと壁の破片がぱらぱらと乾いた音をたてて落ちていく。

「黙れって言ったのが聞こえなかったのか?」

声のトーンを落として、マウロの胸ぐらを掴み上げると「ひっ」とみっともない悲鳴をあげて、凍り付いていたその顔に恐怖の色が浮かびあがってくる。
とにかく腹が立っていた。
死んだ人間に対して、よく知りもしないくせにクズと吐き捨てておきながら、少し脅しただけで縮み上がるこの男にただ腹が立った。

「いいか。お前が俺のことを侮辱しようが、他人のことをどう思おうが大して興味もないし、はっきり言ってどうでもいい。だがな」

そこまで一気にまくしたてて前口上を述べてから、

「お前のその汚い口から、これ以上何か聞かされるのは我慢ならない。反吐が出る」

剣呑な口調で吐き捨てると、乱暴にマウロを床に放り落としてそのまま睨みつけた。
恐怖で顔面を蒼白にさせるその姿が、ますますレンに苛立ちを募らせる。

「次、一言でも喋ってみろ。その顔へこませるぞ」

低い声でそう凄むとマウロは恐怖でかがたがたと身を震わせて、すでにまともに喋ることができなくなっている状態だった。
そのレンの眼光には憤りと蔑みがありありと含まれていて、氷よりもはるかに冷たく感じられる、そんな眼差しだった。



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