「ただいま戻りました〜」

扉を開きながら間のびした声で報告すると、何やら話し込んでいた緑の髪の一人の女性がこちらを向いた。

「あら、おかえりなさい」

周りの人間と話を中断させて、こちらに笑いかけてくる。
彼女が座っている椅子の前に跪くと、彼女は眼鏡の奥にある目をすっと細めて、

「で、どうだった?」

「はい。ちゃんとターゲットを消してきました」

「そう。よくやったわ」

「ありがとうございます。ミク様」

褒められたことが嬉しくて、思わず顔をぱっと明るくする。
自分の中でミク様に褒められることは、人を殺すことを除いた中で一番喜ばしいことだった。
ミク様はこちらに微笑みかけたあと、思い出したように、

「そういえば、ゴードンを知らない?聞いたところによると、あなたを追ってから見かけないらしいんだけど」

それを言われ、ぎくりとする。
思わず目を逸らしてしまい、それを目ざとく見つけたミク様は「何か知っているのね?」と鋭い視線を送ってくる。
暫く黙っていたが、やがて折れて俯きながら、しどろもどろに白状した。

「任務中あれこれ言ってきて、ちょっと邪魔に思っちゃって…、その……、殺しちゃいました…」

その言葉に周りが少しざわつき始める。
ちらりと視線をあげると、ミク様は目をしばたたかせてから、

「殺したって……、ゴードンを?」

「……はい」

「邪魔になったから?」

「……ごめんなさい」

段々いたたまれなくなってきて、小さくなった声で謝罪の言葉を述べる。
頭上から呆れたような溜息を漏れるのが聞こえ、無意識の内に身が強ばっていくのがわかる。
次に飛んでくるであろう怒声に備え、ぎゅっと目を瞑った。

「ぷ」

静まりかえった部屋の中で吹き出したような声が響き渡り、きょとんとして顔を上げるとミク様が肩を震わせて笑をこらえていた。
しかし、やっぱりこらえきれなくなったのか、腹を抱えて大きく声を上げて可笑しそうに笑い出す。
ひとしきり笑った後、笑い疲れたのか椅子の背もたれにもたれかかり、「そっか、そっか、殺しちゃったか〜」と呟き、肘掛けに頬杖をついて、

「まあ、やっちゃったものはしょうがないわね」

「え?お、怒らないんですか?」

「怒る?私が?」

そう言ってまた可笑しそうな顔をするので、困惑してしまう。
前に仲間が味方を殺してしまった時があって、その時ミク様はひとしきり怒鳴りあげ、そいつを殴ったり蹴り上げたりした後、どこかしらに連れ去らせていったことがあった。
あの時はあんなに怒っていたのに、どうして今回は怒るどころか笑ったのだろう。
わけがわからず首を傾げていると、

「安心しなさい。あの程度の男がいなくなったくらいで怒ったりしないわ」

ミク様はやわらかくそう言うと、私の前までやってきて、かがんで私と目線を合わせる。
ふわりと彼女の手が私の頬に触れ少しだけ撫でると、にっこりと笑いかけた。

「あなたはいつも私の期待にこたえてくれる。本当に良い子ね」

目をしばたたかせ、一拍遅れて褒められたことに気付くと、嬉しさが徐々にこみ上げてきて、「はい!ミク様」と満面の笑みで答えた。





「ミク様、良かったんですか?」

「何が?」

渡された資料をめくりながら鋭い声で訊き返すと、向こうは一瞬口ごもってから、

「彼女の凶行についてです」

やっぱりそのことか、と思いつつ仕方なしに資料から目を離し、話かけてきた部下を見上げる。

「しょうがないじゃない。いくら私でも死人を蘇らせることはできないんだし。それに代わりはいくらでもいるでしょ」

「しかし、最近の彼女の行動には目が余るものが多々見受けられます。命令違反は日常茶飯事ですし、今回のようなことも珍しいことじゃありません」

「私は別に目標を果たしてくれれば問題にしないわ。その経過なんて、はっきり言ってどうでもいい。それにゴードンのことも丁度よかったわ。最近あいつ目障りだったし」

ミクはそう冷たく言い放し、もう1人の部下のほうに「解析おねがい」と言って資料を手渡す。
ミクにとって彼女よりもゴードンの動きのほうが気になっていた。
組織に入ってきた時は「この国には制裁が必要だ」とか何とか暑苦しいことを語っていたくせに、最近はこっちのやることをいちいち批判してきていたのだった。
それが少し引っかかって、彼が参加していた任務の敵方の生存者リストをあらってみると、最近では赤バネの隊員が大半を占めていた。
このことから彼と政府側との間になんらかの繋がりがあったと思える。
早々に手を打とうと思っていたのだが、あの娘のおかげで余計な手間が省けて正直助かった。
まあ、あえて不満をいうなら実験サンプルにできなかったのが残念だったが。

「ですが、今はよくてもその内にその目標すら達成しなくなる可能性があります。今のうちに何か手を打っておくべきでは?」

「あのね、そういうことはあんたが決めることじゃない。私が決めるのよ!奴らを上手く使いこなせないような、あんたなんかが横からぎゃんぎゃん言うんじゃないわよ!いい加減耳障りだわ!!」

いちいち口出ししてくることに段々いらついてきて語調を荒くすると、言い返す言葉が見つからなかったのかぐっと言葉につまらせた。
それを冷たく一瞥すると、

「それにあの娘は、私の命令には逆らわないわ。絶対にね」

独りごちるように言うと、問いかけるような視線を送ってくるそいつを無視して、他の部下の方に視線を向け、

「で、あっちのほうはどうなったの?」

「無事遂行されたようです。データも全て回収しました」

「わかった。解析を始めさせておいてちょうだい。私もすぐ行くわ」

そう命じると、少し伸びをして深く息を吐き出す。
あの議員が裏でやらせていた研究。
今回、回収させたのはそのデータだ。
議員が使える奴であれば、今後役立つデータが手に入るはず。
というか手に入らなければ困る。
そのために奴に少し協力してやったのだから。
肩を少しほぐしてから部屋を出て、ふと窓に映った自分の顔をみつめた。
そこには見慣れた自分の姿が映っていて、ふっと思わず笑いを漏らす。
あの娘が私に逆らわない理由、正にこれがそうだった。
私がこの姿であり続ける限り、彼女は私の殺戮人形からくりであり続けるだろう。
たった一つの存在を除いて。

(あの娘が見つける前にアイツのこと、何とかしないとね…)

眼鏡のつるを人差し指で持ち上げながら一つ息を吐き、気持ちを切り替えて足早に研究所へ向かった。





自室に上機嫌で戻ってくると、死に装束を椅子に引っ掛けさせてベッドにダイブした。

(ミク様に褒められた〜。やったやった!)

そのことが凄く嬉しくて嬉しくてたまらない。
その上、今日はたくさん人を殺せたので、満足で胸がいっぱいになっていた。
今日は何ていい日なんだろう。
幸福感に浸りながらごろんと寝返りをうつと、ふと窓の外に浮かんでいる月が視界に入った。
やけに明るくて綺麗な月。
頭にすっと“彼”のことがよぎった。
その瞬間、さっきまでの満たされていた気持ちがどこかに行ってしまい、代わりに胸にぽっかりと穴が空いたような感覚に襲われる。

(まただ……)

両手で胸をぎゅっと押さえる。
“彼”のことを思い出すと、時々こんな感覚に捕らわてしまう。
まるで世界で私一人になってしまったような、そんなとても寂しい気持ちでいっぱいになる。
ふいに“彼”が私を呼ぶ声が頭の中で響いた。
笑顔で私に手を伸ばしてくる“彼”の姿が脳裏に浮かび、何か熱いものがこみ上げてきて、唇を引き結んで必死にこらえる。
きっとここで泣いてしまったら、ずっと泣き続けるはめになるだろう。
そしたら、「ほんとに泣き虫だな」と“彼”にまた呆れられてしまう。
溢れそうになった涙をどうにか抑えつけて、深く深く息を吐く。
左腕にいつも巻きつけている黒いリボンを解くと、両手で包んで軽く握り締めた。

―――お前は狂ってる…!

今日殺したあの隊員が吐き捨てるように言った台詞が脳裏に浮かんだ。
あいつの言った通りだ。
今の私は壊れてしまっている。
あの頃と比べて私は変わりすぎてしまった。
それでも“彼”は、まだ私に手を伸ばしてくれるだろうか。
また、あんな風に笑ってくれるだろうか。
ちゃんと今の私を受け入れてくれるだろうか。
クッションに突っ伏して、違う違う、とかぶりを振った。
私はそういうことを求めているわけじゃない。
私は、ただ…、ただ……。

「会いたい…、会いたいよお……」

泣きそうな声で呟いて、両手でリボンを胸元に持っていき、握り締める。
胸に空いた空虚感を押さえつけるかのように、きつくきつくそれを握り締め続けた。



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