本部に帰ってくると辺りに重苦しい雰囲気が漂っていた。
そのただならぬ雰囲気にレンは怪訝に思い、
「何かあったのか?」
と近場にかたまっていた隊員に尋ねると、一瞬戸惑ったように顔を見合わせてから、
「なんか、お忍びで移動していた議員の列車が襲われたとかなんとかで、護衛に出てた隊員が全滅したらしくて」
「その襲撃した組織があのイレイストらしいんです」
「―――!!」
それを聞いた瞬間、レンはすぐさま本部内にむかって駆け出していた。
何人かとぶつかったりしても振り返りもせず、最上階にある司令官執務室の前でようやく足を止める。
「カイト司令官!」
両開きの扉を乱暴に開けてずかずかと歩み寄り、司令官のデスクに両手を叩きつけた。
そんなレンに臆した風もなく、司令官と呼ばれたカイトという男は顔を上げてにこりと笑い、
「やあ、レン。おかえり。どうだった今回の任務は?」
「そんなことはどうでもいいです!それより、どうして議員の護衛の任務を俺に回してくださらなかったのですか!」
カイトの質問を一蹴し、レンは抗議の声をあげる。
カイトは「やっぱりその話かー」といった感じで曖昧に笑い、
「とにかく落ち着こうか、レン。クールダウン、クールダウン」
「これが落ち着いていられますか!イレイストが関連している任務には、以前から加わらせて頂きたいと申し上げていたはずです!!」
「だから落ち着いてって。じゃないと訳は話さないよ」
そう言われて、仕方なく抗議を引っ込める。
カイトは咳払いをし、デスクの上に手を組んで話し始めた。
「実はイレイストが来るのは予想外だったんだ。それにこの任務は極秘ではあったんだけれど、一応念の為ということで要請されたものでね。まあ、それでも議員の機嫌を損ねない為に、経験を積んでいる隊員を何人か派遣したんだが……。やられたよ。その上向こうは全力投球ときたもんだ」
「というと?」
「まだ断定はされていないけれど、どうやら今回は“奴”が駆り出されていたようなんだ」
“奴”という言葉に思わず固まる。
レッド・ウィングに所属している者なら誰でも知っているその存在。
「狂戦士が…?」
震える声で問うとカイトはこくりと頷き、机に置かれた書類に目を通して、レンに差し出した。
「護衛のほとんどが、銃弾で急所を撃ち抜かれ死亡している。議員は全身に無数の銃弾を受けた状態で発見された。狂戦士のいつもの手口と酷似している。今、処理部隊が詳しく調べているけど、恐らく凶器は狂戦士が使っているとされる銃と一致するだろうな」
カイトの言葉を聞きながら書類に一通り目を通すと、レンは小さく舌打ちをした。
手掛かりが手の届くところにあったのに、それを逃す結果になってしまった。
せめて一人でも生存者がいれば奴の容姿を聞きだせるものを、書類を見る限りではどうやら全滅のようだ。
「レン」
呼びかけられ、レンは書類から顔をあげた。
カイトはレンの思っていることを見透かそうとするかのようにじっと見つめ、
「俺も今回イレイストが動くとわかっていたら、要望通りお前を出動させたよ。狂戦士が投入されるなら尚更だ。でも、今回は完全に不意打ちだった。わかるな?」
「はい……」
「焦っては駄目だ、レン。焦っていれば本来見えるはずものを見えなくなる。それはお前にとっては難しいことかもしれないけど、必ずチャンスはやってくる。その時まで、じっくりと耐えるんだ。いいな?」
レンは唇を噛んで、カイトの問いかけに答えずに身を翻して執務室をあとにした。
自分の部屋に向かう途中、「あ、レン。おかえり」と聞き慣れた声が呼びかけたが、何も答えずその脇を抜けていく。
その胸の中にはもどかしさが黒い渦となって渦巻いていた。
レンがいなくなった部屋で、カイトはやれやれと溜息を吐いた。
レンの気持ちがわからないでもない。
目的の手掛かりがあるとわかったら誰だって飛びつきたくなる。
彼はそのためにレッド・ウィングに入ったようなものなのだ。
その時ノックの音が聞こえ、顔を上げ「どうぞ」と短く答えると、扉の開く音とともに馴染み深い人物が入ってきた。
「メイコか。おかえり」
「ただいま。それよりさっき凄く不機嫌な顔したレンとすれ違ったんだけど、何かあったの?」
「まあ、今回の件のことを問いつめられてね。あの形相にはちょっと狼狽えたよ」
カイトが肩をすくめて答えると、「どの口が言ってんだか」とメイコは睨みつけながら呆れたように返す。
ははは、と笑って誤魔化してから、すぐにその笑顔を引っ込め、
「で、どうだった?」
「もう現場は最悪だったわ。悲惨って言葉がぴったり当てはまる感じね。処理部隊とくまなく捜索したけど、今回も生存者はやっぱりゼロよ」
「流石は狂戦士と言ったところか」
「感心してる場合じゃないわよ。特に議員の死体を見たときなんて、思わず目を逸らしたくなったわ。奴をとっ捕まえて頭の中覗きたいくらいよ」
言いながらその姿を思い出したのか、かなり不快な顔をしながら話すメイコをみて、相当な惨状だったのが容易に想像できた。
新人の隊員を行かせなくて正解だったな、と頭の隅のほうで考えつつ、カイトはふうむと思案する。
イレイストがこの議員を襲撃した理由が、いまいち見えてこない。
大体、今回の任務が極秘とされていたのも腑に落ちなかった。
殺された議員はたいして上の立場にいたわけでもなく、ましてや上層部に影響力を持っていた人物でもない(まあ、金だけは持っていたようだが)。
狂戦士まで投入したということは、確実に消したかったということ。
そうまでして消したかった理由は一体?
(深く調査してみる必要があるな…)
そう思い、メイコに視線を戻し、
「メイコ。ルカに議員のことを調べてくれるよう頼んでくれないか?」
「調べるって…、どれくらい?」
「あらいざらいだ」
「りょーかい」と微妙に気の抜けた返事をして、メイコは小さく息を吐いた。
予想をするに、議員は裏で公にできない何かを行っていた可能性がある。
それが何かはわからないが、それがイレイストにとって不都合だったか、議員の存在が不都合になったかだろう。
もしくは、もう用済みになったか。
いずれにしても、確証はないのでただの予測でしかないが。
「ねえ、前から思っていたんだけど」
メイコの問いかけに現実に引き戻され、「ん?」と顔を上げる。
彼女は一瞬だけ躊躇ったような素振りを見せ、
「レンはイレイストにかなり執心しているわよね?それも異常なほど。いったい何が原因なの?」
「う〜ん。それはちょっと俺の口からは答えかねるな」
「ということは、あんたは知ってるのね?」
「まあね。彼の過去に関することはあらかた知ってるし」
というより、知らざるを得なかったと言ったほうが正しいかもしれない。
レンの過去に起こったあの出来事の日、自分も確かにそこにいたのだから。
そして、あの日がレンの人生を大きく変えたと言っても過言ではない。
だから、自分の口から軽々しく他人にその真相を伝える訳にはいかなかった。
それはレンにとって、できれば他人に踏み入れて欲しくない領域のことでもあるわけなのだから。
「まあ、どうしても知りたいっていうなら、本人から聞いてみた方がいいと思うよ」
「無茶言わないでよ。あいつはただでさえ、自分のこと話そうとしないんだから」
はあ、と嘆息するメイコを見て、カイトは苦笑を漏らした。
ふと窓に目をやって、そういえばこんな感じの夜空が広がっていたな、とぼんやりと思う。
この夜空を一体レンは今、どんな気持ちで見ているんだろう、とカイトは胸中で呟いた。
自室に戻るなりレンは上着を脱ぎ捨て、帽子をやけっぱちに机に放りだし、ネクタイを緩めながらベットに座り込んだ。
カイトの「焦るな」という言葉が頭の中から離れない。
そんなことはレンも百も承知だった。
しかし、手掛かりを前にして逃してしまい、焦らずにいるのは到底無理な話である。
ふと、窓の外に視線を移しその夜空を見上げた。
その夜空は何度見ても、忌々しいほどあの日とそっくりな夜空で、思わず唇を噛み締める。
イレイストはレンにとって唯一の手掛かりであり、同時に最も憎い相手であった。
あいつらのせいで、自分はたった1日でなにもかもを失った。
あいつらに全てを奪われてしまったのだ。
ズボンのポケットに手を突っ込み、中にあった物を引っ張り出す。
取り出したのは、少し古ぼけた懐中時計。
天辺の位置についている竜頭を押して開くと、シンプルな文字盤の上を秒針がカチカチと規則正しく時を刻んでいる。
そして開かれた懐中時計の蓋の裏には、唯一の家族写真が貼り付けられていた。
母と父が穏やかな笑顔で立っており、その前には満面の笑みで笑っている幼い自分と、隣で無邪気に笑っている自分とよく似た顔をした、同じ歳くらいの赤い瞳の少女が写っている。
―――レン!
笑顔で自分の名前を呼ぶ彼女の姿が脳裏をかすめる。
彼女は自分の中で一番大切な存在で、今でもそれは変わっていない。
だからこそ、あいつらを許すことはできない。
自分から彼女を、そして家族を奪ったあいつらを、この先何があろうと許しはしない!
「リン…」
懐中時計を握りしめながら彼女の名前をぽつりと呟く。
その声はあの日、あいつらから逃げることしかできなかった時に呟いた自分の声と似ている気がして、その記憶を閉じるようにレンは片手で懐中時計の蓋を閉めた。
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