「こっちよ」
声が聞こえた方向に目を向けると同時に右手に鈍い痛みが走り、思わず木刀を取り落としてしまう。「…っつー!」
「いった〜!」
ほぼ同時に二人が声を漏らし、右手を押さえて涙目になりながら顔をあげると、ネルがこちらを見下ろして「甘い」とだけ言い捨てる。「グミは腕と足の筋力が基本的に足りない。さっきみたいに押してこられた時、せめてそれをこらえるくらいになっとかないと、簡単にばっさりいかれるわよ。テトはサポート入るのが遅すぎ。来るなら、グミが押しのけられた直後に来なさい。あと、間合いをとったのも感心しないわ。間合いをとるのは、体勢を整えるのは確かにベストだけど、相手にもそういう時間を与えるってことを覚えとくこと。それと、最後の攻撃のタイミング。はさみ撃ちにするんだったら、どっちかがタイミングをずらさないと、さっきみたいに後ろに跳んで避けられるわよ」
ネルの指摘を聞きながら、さっき姿が見えなくなった時、ネルが瞬時に後ろに跳んでいたのだとグミはようやく気付いた。(そういえば、右目のこと訊けてないままだな……)
ボトルの中の冷水を口の中に流し込んで、そこかしこから聞こえる木刀のぶつかり合う音を聴覚の端の方で捉えながらグミはぼんやりと思った。「何ぼんやりしてんの。ま〜た、考え事?」
「あー、アシュフォード先輩の目のことを、ちょっと…」
そこまで返して、はっと口を閉じた。「いや、ただ、いつからあの眼帯してるのかなーって思って」
「ああ、あれねー…」
ネルは納得したようそう呟くと、しかしすぐに何か嫌なことを思い出したのかぎゅっと眉を寄せる。「3年くらい前…、かしら。ぱったりとあいつを見かけることがなくなった時期があってね。それが一ヶ月くらい続いた後、またひょっこり姿を現したんだけど、その時からアレをつけるようになってたわね」
「一ヶ月って…。何があったんですか?」
「さあ?心配しても問題ない、としか言わない上にいくら訊いても、別に、としか言わなくてさ」
言いながらネルの表情がどんどん険しくなっていき、それに比例してボトルを握りしめる力も強くなっていって、みしみしっという音が聞こえてきた。「こっちがどれほど心配したのかも知らないで…!」
「ネ、ネル先輩?」
「ちょっ、どうしたの!?」
丁度、飲み物を買って戻ってきたテトがぎょっとした顔を向けるので、一瞬どう説明したもんかと言葉に詰まると、「うがーーー!!」とネルが奇声を上げて、二人同時にびくりと肩をはねあげた。「せ、先輩。とりあえず落ち着きましょうか?」
「これが落ち着いていられるか!あー、思い出しただけで腹が立ってきた!」
「で、でも、ほら。アシュフォード先輩も、心配かけたくなくてそう言ったのかも!」
「じゃあ、訊くけど!心配になって、司令官や任務に同行した奴に訊きまわっても知らないと返されて、散々心配したのに、お前には関係ないって言われるってどうよ!?それではい、そうですかって引き下がれる!?」
立ち上がってびしっと指してくるネルの剣幕におされて、思わず言葉を失ってしまう。「確かに、それはちょっと酷いですね。私でも怒鳴るくらいしそうですし」
「いや、グミの場合はなんか落ち込みそう。もう声をかけるのも気の毒に思えるくらい」
「あー、わかる。ってか絶対、そう」
テトにネルが同調して断言するので、わりあいありそうに思えてきて、なんだか笑えなかった。「そういえば、あんた。5年前のこと、本人には話したの?」
「えーと、その……」
いきなりその話を持ち込まれ、言いよどみながら視線を虚空に泳がせた。「もう、5年も前の話ですし。多分向こうも、もう覚えてないんじゃないかと」
5年前のことは自分にとっては大きな出来事で、どんなことがあっても決して忘れることはない。「いや…、それはないと思うけど?」
しかし、ネルは何か思い当たることがあるのか、きっぱり言い切ってみせる。「気になるなら、直接訊いてみれば?」
ボトルの蓋を閉めて、木刀を拾い上げるとネルは「休憩終わり」とだけ言って二人に構えるように顎をしゃくって促した。「待て」
呼び止められて向き直ると、レンが明らかに怪訝な視線を寄越して、「お前、なんでそんなふらふらしてるんだ?」
「ついさっきまで、ネル先輩から戦術指導うけてまして。それで午後まるまるつぶれちゃたんですけどね」
あははと笑って返すと、レンは若干眉をひそめて口の中で何かぼそっと呟いた。「そういえば、アシュフォード先輩の“戦う理由”ってなんなんですか?」
結局全然違うことを尋ねていた。「今日ずっと考えたり他の人に相談したりしたんですけど、なかなか見つからなくて。それで、アシュフォード先輩はどうなんだろうなって思って……」
しかし、後半でその声は尻すぼみになっていった。「どうしても知りたいか?」
真剣な眼差しを向けられてどきりとして、何となく目を泳がせて「で、できれば」とぽそっと答えた。「なら、お前がそれを見つけて俺に教えたら、答えてやる」
「ええーーー!?」
思わず大きな声を上げるグミに、レンはうるさそうに顔を一瞬しかめてのけぞると、「ええ、じゃない。そうじゃないとフェアじゃないだろ、お互い」
昼間ネルに言われたことと同じことを言われて、うっと言葉に詰まる。「それよりも、お前そんな調子で明日大丈夫か?朝練来れるのか?」
「どうでしょう…。筋肉痛とかなってなかったらいいんですが……」
「それで済めば、まだ良いがな……」
不意に低くなるレンの声色と微妙に不穏な台詞に「え?」と反射的に訊きかえすと、「あの馬鹿には俺から強く言っとくから。お前も断るべき時は断れよ。体壊すぞ」
こっちの問いには答えずレンはそう言うと、すれ違いざまに頭にぽんと手を乗せられてそのまま歩いていってしまった。(ずるいなあ…)
レンの姿が見えなくなった頃、グミは胸中で呟いた。