構えに入った後、肺の中の空気を全て吐き出して呼吸を整えると、グミは床を蹴って相手との距離を詰めた。
続いて木刀を振り下ろしたが、カンという音を響かせて簡単にそれを受け止められる。
そのまま力で押してくるので足を踏ん張って耐えるが、こらえきれず押しのけられたたらを踏んでしまう。
その隙に懐に入りこまれた刹那、テトが相手の横から攻撃を仕掛けなんとか難を逃れた。
木刀をぶつけ合った格好のまま、テトはグミがすぐさま体勢を整えたのを確認すると、後ろに跳んで一旦間合いをとる。
テトが着地するのに合わせて、二人同時に足を蹴って距離を縮め同じタイミングで斬撃を振り下ろした。
しかし、それは空をきってたった今までそこにいたはずの相手も忽然と姿を消していた。

「こっちよ」

声が聞こえた方向に目を向けると同時に右手に鈍い痛みが走り、思わず木刀を取り落としてしまう。

「…っつー!」

「いった〜!」

ほぼ同時に二人が声を漏らし、右手を押さえて涙目になりながら顔をあげると、ネルがこちらを見下ろして「甘い」とだけ言い捨てる。

「グミは腕と足の筋力が基本的に足りない。さっきみたいに押してこられた時、せめてそれをこらえるくらいになっとかないと、簡単にばっさりいかれるわよ。テトはサポート入るのが遅すぎ。来るなら、グミが押しのけられた直後に来なさい。あと、間合いをとったのも感心しないわ。間合いをとるのは、体勢を整えるのは確かにベストだけど、相手にもそういう時間を与えるってことを覚えとくこと。それと、最後の攻撃のタイミング。はさみ撃ちにするんだったら、どっちかがタイミングをずらさないと、さっきみたいに後ろに跳んで避けられるわよ」

ネルの指摘を聞きながら、さっき姿が見えなくなった時、ネルが瞬時に後ろに跳んでいたのだとグミはようやく気付いた。
確かに、回避の仕方としても最善の方法だし、一瞬姿が消えたように見えさせることで相手の動揺も誘えて反撃の一手としても有効だ。
そのことをさっき指摘ことと合わせて頭の中に叩き込んでいると、「ほら、次いくわよ」とネルが木刀を構え始める。
しかし、テトがわざわざ挙手してぶうたれると、仕方なくといった感じで休憩ということになった。
壁際に置いていたボトルとタオルを拾い上げると、壁に背中を預ける形で座り込んで、ふうと一息つく。
ネルに訓練室まで強制連行されて、バディ戦法の指導をしてもらっていた。
しかし、その指導というのもさっきみたく指摘したあと休む間もなく再戦されるという、こっちの体力を度外視したものである上に、繰り出される攻撃に全く容赦というものがない。
相手が違うはずなのに、段々いつものレンの指導を受けてるような気さえしてくる。
違う所をあげるとすれば、休憩を要求しても一蹴されない所ぐらいだろうか。

(そういえば、右目のこと訊けてないままだな……)

ボトルの中の冷水を口の中に流し込んで、そこかしこから聞こえる木刀のぶつかり合う音を聴覚の端の方で捉えながらグミはぼんやりと思った。
この前の任務では差し支えない感じだったけど、片目側が死角になっているわけだから、戦闘中とか不便ではないはずがない。
とはいえ、本人も話したいことでもないだろうし、訊いたところで一蹴されて終わりな気もしたりする。

「何ぼんやりしてんの。ま〜た、考え事?」

「あー、アシュフォード先輩の目のことを、ちょっと…」

そこまで返して、はっと口を閉じた。
話すつもりはなかったのに、完全にぼんやりしていたので思わず答えてしまっていた。
顔を上げると、案の定ネルが「へ?目?」と目を白黒させているので、視線を逃がしながら、

「いや、ただ、いつからあの眼帯してるのかなーって思って」

「ああ、あれねー…」

ネルは納得したようそう呟くと、しかしすぐに何か嫌なことを思い出したのかぎゅっと眉を寄せる。
ぐびっと喉を鳴らして水を飲み込み、「ぷはっ」と一息をついてから。

「3年くらい前…、かしら。ぱったりとあいつを見かけることがなくなった時期があってね。それが一ヶ月くらい続いた後、またひょっこり姿を現したんだけど、その時からアレをつけるようになってたわね」

「一ヶ月って…。何があったんですか?」

「さあ?心配しても問題ない、としか言わない上にいくら訊いても、別に、としか言わなくてさ」

言いながらネルの表情がどんどん険しくなっていき、それに比例してボトルを握りしめる力も強くなっていって、みしみしっという音が聞こえてきた。
更にネルの背後から見えない黒いオーラのようなものが立ちのぼってくるのを感じて、背筋が寒くなってくる。

「こっちがどれほど心配したのかも知らないで…!」

「ネ、ネル先輩?」

「ちょっ、どうしたの!?」

丁度、飲み物を買って戻ってきたテトがぎょっとした顔を向けるので、一瞬どう説明したもんかと言葉に詰まると、「うがーーー!!」とネルが奇声を上げて、二人同時にびくりと肩をはねあげた。

「せ、先輩。とりあえず落ち着きましょうか?」

これが落ち着いていられるか!あー、思い出しただけで腹が立ってきた!」

「で、でも、ほら。アシュフォード先輩も、心配かけたくなくてそう言ったのかも!」

「じゃあ、訊くけど!心配になって、司令官や任務に同行した奴に訊きまわっても知らないと返されて、散々心配したのに、お前には関係ないって言われるってどうよ!?それではい、そうですかって引き下がれる!?」

立ち上がってびしっと指してくるネルの剣幕におされて、思わず言葉を失ってしまう。
傍でテトが小さく「え?何、アシュフォード先輩関係のことなの?」と訊いてくるがそっちに気を回す余裕もあるはずもなく、右から左へと滑っていく。
きっと相当心配したのだろう。
色々な人に訊き回っても成果はなくて、やっと帰ってきたと思ったら、ただごとじゃない傷を負っていて、それでそんなこと言われれば確かに怒るのも無理もない。

「確かに、それはちょっと酷いですね。私でも怒鳴るくらいしそうですし」

「いや、グミの場合はなんか落ち込みそう。もう声をかけるのも気の毒に思えるくらい

「あー、わかる。ってか絶対、そう

テトにネルが同調して断言するので、わりあいありそうに思えてきて、なんだか笑えなかった。
言われてみれば、自分の場合では怒りよりそっちのほうにベクトルが向きそうな気がしないでもない。

「そういえば、あんた。5年前のこと、本人には話したの?」

「えーと、その……」

いきなりその話を持ち込まれ、言いよどみながら視線を虚空に泳がせた。
一旦顔を俯かせてから、すぐに顔をあげて苦笑すると、

「もう、5年も前の話ですし。多分向こうも、もう覚えてないんじゃないかと」

5年前のことは自分にとっては大きな出来事で、どんなことがあっても決して忘れることはない。
でも、あの人にとってはきっとそれはよくある任務でのことで、覚えてる可能性は極めて低いと思える。
ましてや、そこで助けた人間のことなんていちいち覚えてないだろう。

「いや…、それはないと思うけど?」

しかし、ネルは何か思い当たることがあるのか、きっぱり言い切ってみせる。
視線で問いかけると、ネルは一人で頷いてみせて、

「気になるなら、直接訊いてみれば?」

ボトルの蓋を閉めて、木刀を拾い上げるとネルは「休憩終わり」とだけ言って二人に構えるように顎をしゃくって促した。





宿舎に戻るころ、空は群青色に変わっており太陽は西の空に沈んでいた。
グミは疲れきった体をほぐしながら、部屋に戻ったらシャワーを浴びて、しばらく休んで、それから夕飯食べて、と脳内で今後の計画を立て始める。
昨日の任務の疲れも若干残ってる上に、ネルのトレーニングに長時間付き合わされたので、疲労でいい加減体中が悲鳴をあげていた。
ため息をついて、ふらふらとした足取りで角を曲がろうとすると、そこでばったりとレンと出くわした。
一瞬びっくりしたが軽く会釈して脇を抜けようとすると、

「待て」

呼び止められて向き直ると、レンが明らかに怪訝な視線を寄越して、

「お前、なんでそんなふらふらしてるんだ?」

「ついさっきまで、ネル先輩から戦術指導うけてまして。それで午後まるまるつぶれちゃたんですけどね」

あははと笑って返すと、レンは若干眉をひそめて口の中で何かぼそっと呟いた。
その時ふとネルに「訊いてみたら?」と言われたことが脳裏に浮かび、気がつくと「あのっ」と呼びかけていた。
無意識の内に話かけてしまったことに自分のほうが動揺してしまい、「えっと…」と一回言葉を濁して、

「そういえば、アシュフォード先輩の“戦う理由”ってなんなんですか?」

結局全然違うことを尋ねていた。
レンは一、二度瞬きをして目を細めるだけで答えないので、

「今日ずっと考えたり他の人に相談したりしたんですけど、なかなか見つからなくて。それで、アシュフォード先輩はどうなんだろうなって思って……」

しかし、後半でその声は尻すぼみになっていった。
カイトがレンは自分のことを話したがらない、と言っていたことをふいに思い出したのだ。
今朝といい今回といい、レンの前では何かと失言が多い気がして、少しきまりが悪く感じる。
とはいえ、カイトにレンのことを頼むと言われた手前、レンのことを少しは知っておくべきだという思いもあって、今回は話を打ち切るつもりはなかった。
お互いに黙ったまましばらく見つめあっていると、レンが吐息をついて視線を一瞬横に逃がしてから、

「どうしても知りたいか?」

真剣な眼差しを向けられてどきりとして、何となく目を泳がせて「で、できれば」とぽそっと答えた。

「なら、お前がそれを見つけて俺に教えたら、答えてやる」

「ええーーー!?」

思わず大きな声を上げるグミに、レンはうるさそうに顔を一瞬しかめてのけぞると、

「ええ、じゃない。そうじゃないとフェアじゃないだろ、お互い」

昼間ネルに言われたことと同じことを言われて、うっと言葉に詰まる。
上手いことかわされたなあ、と残念に思って見上げるが、レンは涼しい顔で「まあ、せいぜい頑張れ」とひらひらと手なんか振ってみせた。
でも、あからさまに拒否しなかったということは、教えてくれるつもりはあるということなのだろうか。
じっとレンを観察してみるが、相変わらずのポーカーフェイスでそこからは何も読み取ることはできなかった。

「それよりも、お前そんな調子で明日大丈夫か?朝練来れるのか?」

「どうでしょう…。筋肉痛とかなってなかったらいいんですが……」

「それで済めば、まだ良いがな……」

不意に低くなるレンの声色と微妙に不穏な台詞に「え?」と反射的に訊きかえすと、

「あの馬鹿には俺から強く言っとくから。お前も断るべき時は断れよ。体壊すぞ」

こっちの問いには答えずレンはそう言うと、すれ違いざまに頭にぽんと手を乗せられてそのまま歩いていってしまった。
ぽかんとしたまま、グミはさっきレンの手が置かれた所に手をやって、遠くなっていくレンの背中をただ見送る。

(ずるいなあ…)

レンの姿が見えなくなった頃、グミは胸中で呟いた。
今朝のことといい、本当にレンはずるい。
素っ気無く突っぱねるような態度をとったと思ったら、こっちのことを心配してきて。
その上、何気ない感じでさっきみたいなことされたら、どきっとしちゃうじゃないか。
そう悔しく思う一方、不思議とその感情が嫌じゃない自分がいることに気付いて、何となく笑みがこぼれる。
頭にはさっきレンに触れられた時の感触がまだ残っていて、できれば暫くの間消えないで欲しいな、とそう思った。


グミ・マーシャル、16歳。
その時、彼女は胸に芽生えていた想いにまだ気付いていなかった。




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