「やっっ!」
短く悲鳴を上げて、引っ掛けていた足を引っ込ませ、座り込んだままじりりっと後退すると、何かにぶつかる感覚が背中に走る。「い…や…!」
掠れた声でそう呟くと同時に体ががたがたと震え始める。「いやあああああああああああああああああああ!!」
「夢……?」
若干呆けた声で呟いて辺りを見渡す。(何で私、こんなに参ってるんだろう……)
自分自身に若干呆れながら、ベットから降りてカーテンと窓を開ける。「ここ、いいですか?」
朝食の席で珍しくそう声をかけられて、思わずきょとんとしてしまった。「ネル。そういう顔するなら、他所に行ってくれ。折角の朝食が不味くなる」
「なっ!」
「そうですよ、先輩。ほら朝は朗らかにしているのが一番!ね?」
「『ね?』じゃないわよ!っていうか誰のせいよ!」
背中を軽くぽんぽんと叩いて宥めるテトに、ネルが盛大な声を張り上げた。「大体、あんたグミはどうしたのよ?」
「そのグミが来ないから、こっちに来たんですよー」
テトのその言葉に、ふとレンは動きを止めた。「いや、ここに来る前にグミの部屋に寄ったんですけど、いらないって言ってて…。顔色も悪かったし、もしかしたら昨日のことひきずってるのかも…」
テトの話を聞いて、ネルは少し心配そうな顔になり、こちらに顔を向けてくる。「まあ、グミの気持ちもわからなくはないんですけどね。私も昨日は色々考えちゃったし」
「その割には、何ともなさそうよね、あんたは」
ネルが疑わしそうにじとりと視線を送って言うと、テトはあはと笑って、「いや、本当に色々考えてたんですよ?でも、寝て朝起きたら、何かもやもやしてたの全部飛んでいってちゃってたんですよね。これが」
「順応力高すぎだろ」
「いやー、それほどでも〜」
「言っとくけど、全然褒められてないからね、テト。寧ろ呆れられたのよ、あんたは」
思わず入れたレンの突っ込みに、えへへと頭を掻いたテトにネルが更に突っ込を入れる。「レン?」
「急用ができた」
ネルの問いかけに視線も向けずそれだけで返して、トレイを片付けにカウンターへと向かう。「見え見えだっての。ばーか」
小さくぼやいて、パンをやけぱっちに大きく引きちぎって口の中に放り込んだ。「参ったなあ……」
額に片手を乗せてグミは独りごちた。(5年も経っているんだから、もう大丈夫だと思ってたのにな…)
胸中で呟いて寝返りを打つと小さくお腹の虫が鳴くのが聞こえ、唐突に空腹感が湧いてくる。「もう、テト。さっきも言ったけど、私はだいじょう……」
しかし、中途半端にドアを開けた状態のまま、固まってしまった。「何で閉める?」
「だ、だって…!寝起きで…!!服も着替えてないし!!」
言葉にすると余計恥ずかしくなって、顔を俯けてドアを閉めようとする手に力がこもる。「とにかく開けろ。いま両手が塞がってるから」
「え…、何で両手…?」
レンの言葉に顔を上げた拍子に力が抜けてしまい、僅かにドアの隙間が広くなりレンが両手で何か持っているのがちらりと見えた。「あの…!お気遣いは嬉しいんですが、私、今食欲ないんで!!全然、お腹空いてないんで!!だから」
レンを押しやるようにしながら、そう声をあげた時。「とりあえず、開けてくれるか?」
「…………はい」
顔を俯かせて力なく頷き、グミはようやくドアノブから手を離した。「心配しなくても、肉は入ってない。だから安心しろ」
見透かされたように言われて思わず窓際に視線を向けると、レンは腕を組んで何でもなさそうな顔でこちらを見ていた。「あの、どうして…?」
「誰しも通る道だからな。大体わかる」
グミの問いにレンは同じ顔で素っ気無く答えると、「食べないのか」と言われ、慌てて座り直して土鍋と向き合う。「ありがとうございました。美味しかったです」
「……俺がつくったわけじゃないから、感謝されても困るけどな」
至極真っ当なことを返されて、一瞬言葉に詰まったあと、「でも持ってきてくれたから…」とぼそぼそと付け足す。「そういえば、さっき誰しも通る道だって言ってましたけど、アシュフォード先輩も……?」
あまり深く考えないで口に出してしまってから、グミはしまったと思った。「本拠地って言ってもそれほど規模も大きくはなかったし、俺の成績と指導員が結構な功績を持ってる人だったっていうのが考慮されて、その任務に加わることになってな」
「でも、だからって初任務でそんな現場行かせるって、いくらなんでも酷いんじゃ…」
「当時の司令官――、前任の司令官は頭が固いくせに配慮の足りないボンクラだったからな。拒否しようにも聞く耳持たなかったんだよ」
平坦な口調で敬意の欠片も見当たらないレンの発言に、グミは「は、はあ…」と微妙な相づちを打ってレンを見上げる。「あの時はとにかくがむしゃらで、向かってくる敵はとにかく斬っていって、それが20人を超えた辺りから数えるのもやめた。任務自体は成功だったが、敵味方合わせてその日一日でかなりの人間が死んだ。それから1週間は肉を食うどころか、見たくもなかったな」
「……そんな思いをしたのに、辞めようとは思わなかったんですか?」
「思わなかった。俺にとって、その選択肢自体ありえなかったしな。全部覚悟の上だったし、これが仕事だからしょうがないって早いうちに割り切った」
淀みのないきっぱりとした口調で言い切ってから、グミの方に視線を寄越して「お前は、どうなんだ?」と問い返す。「昨日みたいなことはこれからいくらだって起こる。割り切れないっていうんだったら、もうここにはいない方がいい。無理にここにいたってろくなことがないし、辞めることにしても別に俺はお前を悪く思ったりしない」
なんとなく既視感を感じて、昨日ネルが自分達に向けていったことが脳裏に蘇り、それがレンの言葉と重なる。―――あんた達もここにいるつもりなら割り切りなさい。ちゃんと自分で納得できる形でね。んで、それがどーしても無理だっていうんだったら、ここにいるのはやめた方がいいわ。今ならまだ引き返せるから。
二人の言葉をゆっくりと咀嚼してグミはレンの目を真っ直ぐ見据えて言った。「私は…、辞めません」
今ならまだ引き返せる、とネルは言っていた。「私も、割り切ります。ちゃんと自分で納得できる形で」
強い口調できっぱり言い切った。「そうか」
呟くように言うと、ほんの少しだけその表情を緩めた。気がした。「そういえば、昨日結局言いそびれてたんだが」
レンが思いついたように述べてから、一転して半眼の視線を向けて、「昨日、捕まったのは計算か?それとも素か?」
「え、え〜っと……」
語調を少しきつくして問い詰められ、グミは思わず視線を泳がせる。「ごめんなさい。完全に素でした」
やっぱりかというような大きな溜め息の後、「お前な、任務中は背後に気を配るのは常識だろ。しかも、戦闘能力皆無の相手に背中をとられるなど、言語道断。人質にとられたからどうにかなったのものの、あれが戦闘員だったら即刻あの世行きだったぞ」
「はい…。すみません……」
「あと、最初に銃向けられた時も、動くなって言われてたのにお前動いたよな?あいつが肝が小さい奴だったから無事に済んだが、あの時弾みで撃たれててもおかしくなかったぞ。相手が牽制してきた時は、下手に刺激しないっていうのも鉄則だろうが」
あくまで、いつもと変わらない口調の的確な叱責に返す言葉もなくて、グミはすっかり小さくなって何も言えなくなってしまう。「でも、まあ、あいつを投げ飛ばした時の機転の速さと、度胸の大きさは一応評価しとく。あれのお陰で、すんなり逮捕できたしな。次からは気をつけろよ」
その台詞の意味を理解するのにきっかり五秒かけてから、褒められたらしいということに気付くと、「あ、ありがとうございます」と少しこそばゆいものを感じながら、ぺこりと頭を下げた。「あ、自分で返しにいきますっ」
「いい。押しかけたのは俺のほうだし。それより、あとで司令官に呼び出されるだろうから、今のうちに着替えとけ」
「はあ…」
頷いたものの、なんで呼び出されるんだろうといまいち釈然としないでいると、「事後報告。昨日みたいな任務の場合、その後の経過を聞く義務があるんだよ、俺達には」とレンがちょっと面倒くさそうな顔で補足して、そういえばそういう話を授業でちらっと聞かされたようなことがあったな、と思い当たる。「それと、もう一つ」
レンがドアノブに手にかけた時、唐突に思い出したように声をあげてこちらを振り返った。「一つ課題出しとく」
「課題?」
思わぬ単語が飛び出してきて、復唱しつつ首を傾げる。「ここにいるつもりなら、自分の戦う理由を見つけろ」
「戦う理由…、ですか?」
「まあ、言ってしまえば信念みたいなものだな。何のために自分は戦うのか、何故戦うのか。それをはっきり持っていれば、どんなことがあっても真っ直ぐ前を向ける」
「信念…」
呟いて考え込んでみるが、すぐには浮かんでこない。「そんなに難しそうにするな。自分がなんでここに入ったか、ということをよく思い出して考えればいい。それでも浮かんでこなければ、他の奴に訊いてそれを参考にしても全然かまわない。けど、どんなことがあっても必ず貫き通せるものにしろ。期限は特にないからじっくり考えればいいが、そのかわり絶対にみつけろよ。いいな」
レンはそういい残すと、パタンと扉を閉めて部屋を出て行った。(何のために戦うのか、か……)
再び思考回路を動かしてみるが、さっぱりわからなくて段々悶々としてくる。