穏やかな朝の日差しで目を覚ました。

「んー……」

唸り声を上げながら、グミは体を起こした。
まだ若干寝ぼけててはっきりしない意識の中で、何気なく壁にかけた時計に視線を移す。
瞬間、一気に目が覚めるのと同時に、顔からさーっと血の気が引いていくのを感じた。
思いっきり寝過ごしてしまっていた。
脳内で「遅刻」という言葉が次々と増殖されていき、焦燥感が徐々に湧き上がってくる。
ベットから跳ね起き、大急ぎで支度を整えて、部屋から飛び出してそのままスピードを緩めることなく走り出す。
レッド・ウィングに入隊して四日目。
これがグミにとって本当の始まりであり、生涯忘れることがないであろう一日の朝のことである。


「初陣」


更衣室で先ほどと同じスピードで訓練用の服に着替えて、トレーニングルームに繋がる扉に駆け込むと、

「たあーーーー!!」

膝に手をつき荒い息を整えて顔を上げれば、掛け声とともに一人の隊員がレンに向かって木刀を振り上げている所だった。
レンはそれを木刀で易々と受け止め、そのまま力で押し切る。
相手が後ろによろめいてたたらを踏んでいる隙に、相手の手から武器を弾き飛ばしその首に木刀の先端を向けて、

「一本」

「……参りました」

隊員の口から降参の言葉が出ると、周りから「すごい」「はえー…」と感嘆の声があがる。
レンは木刀を下ろしてから、「遅かったな、新入り」と顔だけこちらに振り向かせた。
一拍遅れて自分に向かって言われたのに気付いて、慌てて駆け寄り、

「すみません!寝過ごしてしまいました!!」

頭を下げながら素直に理由を述べると、呆れた様なため息が上から降ってきて、胸にぐさりと何かが刺さったような痛みが走る。
いたたまれなくて顔を上げられないでいると、何か四角いものが入っている袋をすっと差し出された。
ぽかんとして顔を上げると、いつもの顔で、

「どうせ何も食べてきてないだろ。そのままだと昼まで持たないぞ」

「あ、ありがとうございます」

正直いって若干の空腹感を感じていたので、ありがたく受け取った。
袋をあけると、長細い長方体のパイのようなものが入っていて、一口食べてみるとわりと甘くて美味しい。

「へえ、自分の後輩には親切なのねー。レン・アシュフォード君は」

明らかに含みのある言い方に顔を向けると、金髪のサイドテールの女性が腕を組んで、じとりとレンを睨んでいた。
ネル・ハーパー先輩だ。
レンはネルと顔を合わせるなり疲れたように溜め息を零すと、それに反応してネルの片眉がぴくりと跳ねた。

「別に…。稽古の途中で倒れられたら困るから、やっただけだ」

「ふ〜ん?そうなんだ〜?」

全然納得してなさそうな顔でネルはレンをじっと見やってたが、「ま、いいけど」とわりとさらっと引き下がった。

「それよりさ、あんたの後輩まだ朝食中みたいだし、恒例の一本勝負やらない?」

「恒例にした覚えは全く無いけどな」

「何よ、文句あるわけ?」

「大ありだ」

「あ、あの、私すぐに食べ終えますんで…」

睨み合う二人の間に割って入ったが、ネルががっとこちらの肩を掴み、場違いなくらいにっこりと笑って、

「いいから、ゆっくり食べなさい」

「……はい」

相手の気迫に気圧され素直にグミは頷いた。

「っていうか、お前も指導員だろ。後輩の指導ほっぽりだして良いのか?」

「あら、別に問題ないわよ。良いわよね?テト」

「先輩、言われるまで私の存在忘れてたでしょ……」

後ろで待機していたテトが半眼になってネルを見ていたが、やれやれといった感じで溜め息をついて「好きにしてください、もう」と投げやりに承諾した。
レンもそれで諦めがついたのか、小さく舌打ちしてネルから数歩離れて木刀を構える。
ネルも木刀を構え二人同時に一つ深呼吸すると、一気に周りの空気がぴんと張りつめられ沈黙が降りる。
少し経った後、先に動いたのはネルだった。
あっという間にレンに詰め寄り木刀を振るが、レンが難なくそれを受け止めると、お互いに一度間合いをとってから斬撃をぶつけ合う。
それから互いに攻撃したり防いだりの攻防が続き、木刀がカンカンとぶつかり合う音の間隔が次第に短くなっていく。

「すごいね、あの二人……」

いつの間にか隣に来ていたテトが、感心しきった声で呟く。
二人の斬撃は最早全て目で追えきれないほどの速度で、しきりに木刀がぶつかり合う音の数でしかその多さを知ることはできない。
戦局は一進一退…、いやわずかだがネルが押している様に見える。

「それより、テト良かったの?」

「何が?」

「いや、ハーパー先輩のこと止めなかったし」

「……あの人は私が止めても、聞かないよ…。あれはそういう目だった…」

はは、とひきつった笑みを浮かべるテトに、思わず同情の目を向けてしまう。
わずか四日間の内にそういうのが嫌でもわかってしまう出来事があったらしく、聞きたいような聞きたくないような…。
その時、どよめきが起こった。
視線を戻すとネルがレンの懐に入り込んでいる。

「もらったあ!」

その声と共にレンの首めがけて、ネルの木刀が薙がれた。
誰もがネルの勝利を確信していたであろう。
次の瞬間、首に木刀を突きつけられていたのは……、

「誰がもらったって?」

背後からネルの首筋に木刀を向けながら、呆れたようにレンは言った。
観戦者の全員が、何が起こったのか理解できていなかった。
直前まで、レンの負けは決まっていたような状況だったのに、一瞬にして形成逆転していたのだから無理も無い。

「今の見えた…?」

テトの問いにグミは小さくかぶりを振って、そのまま呆然としていた。
周りも同じような会話が交わされていて、徐々にざわめきだっていく。

「あんた…、わざとね……」

「今頃気付いたのか?」

剣呑な声で呟くネルに、木刀を下ろしながらレンは平然とした口調で返した。
勿論、それでネルが怒らないこともなく。
羞恥と怒りでか、顔を真っ赤にさせて指をびしっと指し、

「どうりで防御ばっかりしてくるわけだわ!あんた、本気出しなさいよ!!」

「本気でやったら、すぐ終わるだろ。そうなったら、手加減しろ、とか言うくせに」

「は!?誰がっ!!」

「後、気付いているだろうが、これ実戦だったらお前とっくに出血多量で動けなくなってるからな」

そう言われると、返す言葉がみつからなかったのか、ぐっとネルは黙り込む。
後で聞いたのだが、どうやらさっきの斬撃の応酬中にネルは両側のわき腹に攻撃をくらっていたらしい。
それでも負けを認めようとしなかったネルに呆れるというか、何というか…。
完全に言い負かされ、ネルは悔しそうな表情を浮かべながらレンを見上げ、

「納得いかないわ!もう一回よ!!」

「お前、さっき自分で一本勝負って」

「いいから、やるわよ!」

異論は認めないと言わんばかりにレンの言葉を遮ったネルだったが、レンもレンでこれ以上付き合う気は毛頭なかったらしく。

「新入り。食べ終わったか?」

「え、はい」

空になった袋を振りながらグミが答えると、レンは既に構えに入っていたネルに向かって「だそうだ」と肩をすくめた。

「俺はこれからこいつの指導始めるから。不完全燃焼だって言うんだったら他を当たってくれ。じゃ」

「ちょっ、待ちなさいよ!勝ち逃げする気!?」

「行くぞ、新入り」

ネルの制止の声を完全に無視しているレンに促されるまま、グミは小走りで後を追いかけた。
レンの後についていきながら、背後から聞こえるネルの怒鳴り声にちらりと目をやる。
それは最早文句ではなく、罵声に変わっていたがレンは気にしてないのか、それに対して無反応を突き通していた。

「あの…、良いんですか?あれ」

見かねて訊いてみたが、顔をこちらに向けること無く、

「ほっとけ。その内収まる。いつものことだ」

平然とした口調で言ったレンの言葉に「はあ…」と返して、もう一度後ろに視線を移す。
相変わらず怒号を飛ばし続けるネルをテトが宥めようとしているが、一向に収まる気配がない。
いつものこと……、なんだ。あれが。

「始めるぞ。新入り」

「は、はい」

呼ばれて視線を戻すと、レンが木刀でとんとんと肩を軽く叩いて待っていた。
グミが構えに入ったのを確認すると、レンは片手だけで木刀を構える。

「ルールーはいつもと同じだ。一歩でいいから、俺をここから動かせてみろ。いいな」

「はい!」

「じゃ、はじめ」

レンがそう言うと、すぐに床を蹴って間合いを狭めて木刀を振り下ろして一閃。
レンがそれを防ぎ、木刀と木刀がぶつかるカンと乾いた音が響き渡った。





「つ・か・れ・た〜……」

ふらふらした足取りで食堂の椅子に座り込むと、そのまま上半身をテーブルに預けて、うつ伏せに倒れこんだ。
一旦座り込んでしまうと疲労感がピークに達し、起き上がる気力すらわいてこない。
暫くそのままの状態でいたが、横に昼食のメニューが乗ったトレイが置かれて、ようやくのろのろと体を起こした。

「ありがとう、テト…」

「どういたしまして。今日もお疲れだねー」

正面の席に座りながら笑うテトに、苦笑いだけの返事する。
テトの言うとおり、レンとの稽古の後はいつもこんな感じだった。

「で、今日はどうだったの?」

「同じく完敗……」

サラダにスプーンを意味無くグリグリ押し込みながら、かくっとうなだれる。
結局、あの後レンをその場から一歩も動かすことができなかった。
それどころか、たった一撃で負かされる始末……。
気がつけば木刀を弾き飛ばされているか、床に倒れこんでしまっているのが現状だった。
その後行った回避訓練では、斬撃を連続で5回まで回避できるようにはなったが、まだまだ合格点には程遠そうだ。
その上、レンの稽古はこちらがへばって動けなくなるまで休憩が一切ない、というかなりのスパルタ式。
レンが「稽古の途中で倒れられたら困る」と言ったのはあながち大げさではなく、あの時あれを受け取ってなかったら、間違いなく途中で空腹と疲労で倒れてた。
そういえば今朝もらったあれ、お菓子みたいだっけど何で持ってたのだろう。

「もしかしてアシュフォード先輩、いつも、ああいうお菓子持ってたりするのかな…?」

「そんなわけないでしょ」

脳裏に浮かんだ疑問に思いがけず返事が返ってきたので、「えっ?」とうわずった声で顔を上げると、すぐ傍でネルがこちらを見下ろしていた。

「確かにあいつ、ああ見えて甘党だけどさ、いくら何でもあんなのいつも携帯してるほどお子ちゃまじゃないわよ」

「え、何で、そのこと…?」

「何でって…。さっき自分で言ってたじゃない」

「ね?」とネルが同意を求めるようにテトを見るとすんなり頷かれて、羞恥で思わず頭を抱える。
思ってただけのつもりが、いつの間にか声に出ていたらしい。

「じゃ、じゃあ、何であの時持ってたんですか?」

今度から気をつけよう、と胸中できつく決意しながら訊くと、

「それは、今朝あんたをここで見かけなかったからでしょ」

さらっといわれて一瞬納得しそうになってから、「へっ!?」と目を剥いて素っ頓狂な声を出した。
いまいち理解が追いつかなくて困惑してしまっているグミを見て、ネルはやれやれと言うように小さく息を吐いてから続ける。

「多分、寝過ごしたんだろうって思ったんでしょうね。トレーニングルーム行く前に、1階の売店であれ買ってるの見かけたし」

「でも、何で…?」

「それがレン・アシュフォードって奴なのよ」

そう言ってから、テーブルに片手を置いて、

「いい?あいつはいっつも周りの人間のこと気にしてない風だけど、実はちゃんと周りを見てるの。まあ、思ったことそのまま言っちゃうくせに言葉が足りないからさ、冷たい奴だって思われがちだけどちゃんと周囲に気を配ってる。レン・アシュフォードって奴はそういう男なの。わかった?」

「先輩、よく知ってますねー…」

「あいつとは腐れ縁みたいなもんだからね。嫌でもわかるのよ」

テーブルから手を離すと、ネルはぷいと拗ねたように顔を横に背けた。
彼女の頬が若干赤くなっているのを見て、なるほどとグミは納得する。
じゃあ、今朝のあのつっかかりようは、単なるやきもちだったのかな……。

「それにしても、遅いわね…」

ぽつりと呟いたネルに、テトがにやっと悪戯っぽく笑った。
あ、今、絶対何か悪いこと思いついた。
テトはなんでもないような顔しながら、からかうような口調で、

「そうですねー。早く来てくれないと、先輩お昼食べれませんもんねー」

「べ、別に、レンが来るの待ってるわけじゃないわよっ」

「あれー?私、アシュフォード先輩が、なんて一言も言ってませんけど?」

白々しく不思議そうにテトが答えると、そこでネルは墓穴を掘ったことに気付いたのか、みるみる顔が赤く染まっていく。
それを見てくすくす笑うテトをネルは恨みがましく睨みつけて、「こぉんのおぉぉ」と怒りがたっぷりこもった声で呻くように言うと、むんずとテトの両の頬を引っ張りあげ、

「余計な事を言うのは、この口か!この口か!!この口かあーー!!!」

「ふあー、ほうほふふぁんふぁーい!!(わあー、暴力反対!!)」

「はあー?何言ってるかさっぱりわかりませんねー!?」

そう言いながら、ネルは掴んだ頬を横に引っ張ったり、縦に引っ張りたりとし始め、テトはまた抗議の声をあげた。
しかし、ネルは止めるどころか、ますます激しく引っ張りまわしていく。
目の前で繰り広げられる、子供の喧嘩みたいな光景にグミはついつい笑い出しそうになり、こらえるために顔を背けると、丁度食堂に入ってきた人物が目に入って、

「あ、アシュフォード先輩」

そう漏らすと、即座にテトの頬からネルの手が離れた。
そのままレンがカウンターの方に向かうのを見送ってから、

「じゃあ、私もう行くわね」

片手を軽く挙げて、足早にカウンターの方に歩いていった。
ネルが去っていくと、嵐の後みたいに静かになって、テトが「いった〜…」と頬を押さえながら涙目でぼやいた。

「あんまりからかっちゃ駄目だよ?テト」

「いや、だってさー。存在忘れられたり、宥めに入ったら逆ギレされたりしたら何か反撃したくなるじゃん?」

「まだ、根に持ってたんだ…。それ」

若干呆れながらカフェオレを一口飲んで、ちょっとぐちゃぐちゃになったサラダをフォークで突き刺して口に運んだ。
暫く経ってから、何か騒がしい声が聞こえたのでそちらに視線を向けると、レンと向かい合って何か言い合っているネルが見える。
ふとテトと顔を見合わせると、同時に吹き出して笑い声を抑えながら、二人で少しの間笑い合っていた。



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